登頂に挑戦


 
 東京駅で電車を降り、ホームから長い下りのエスカレーターに乗った。とたん、今乗ってきた電車の網棚に旅行カバンを置き忘れてきたことに気がついた。
 振りかえると、エスカレーターを降りてくる客はいない。プラットホームまでは、3、4段… 「よしっ!」頂上に向かってまっしぐらに駆け上がった。
 ただ、駅のエスカレーターはスピードが速い。階段が、これでもか、これでもかと降りてくる。
 二人の中年婦人が上から降りてきた。「これ下りですよっ!」と、ぼくに大声で注意する。「そんなこと、わかってますっ!」と叫びながらすり抜けた。
 その自分の発声で足の力が抜けちまった。ホームはすぐそこだったのに、どんどん遠ざかってゆく。もう2段だったのに。くそっ! しかたがない。あきらめて、まっすぐ下向きに立ち、降りることにした。
 婦人たちは、ぼくをボケ老人と思ったのか、エスカレーターのはるか下で憐れみの目、または心配の目で見上げていた。「早くあっちへゆけよ〜」。 
 
 下まで降りて、となりの上りエスカレーターに乗り直し、えんえんとホームに登る。さいわい電車はまだ止まっていたので、カバンを棚から取りもどし、再びエスカレーターをえんえんと降りて、新幹線の乗り場に向かった。
 ひと汗かいたが、だれに話しても理解も尊敬もされない、土曜の朝のひとときだった。