2011-01-01から1年間の記事一覧

ありがとう 大晦日ライブ

大晦日の夜から元日にかけて、日本では百八つの除夜の鐘の音を聴いて煩悩をなくすという。いつもはテレビで見ているのだが、一度だけ浅草寺に行ったことがある。まだ大阪に住んでいた若いころのことで、司馬遼太郎さんが新聞に書かれるコラムの挿絵を描くた…

むかしのマンガ (サンタのこと)

むかしのマンガ(マザー・テレサ来日)

マザー・テレサは、ノーベル平和賞の受賞後、来日し、上智大学で講演を行った。これはそのとき描いたマンガである。 2か月前、中国広東省でクルマにひき逃げされた2歳の女児が、現場を通りかかった18人の通行人に見ぬふりされて重体、というニュースがあ…

むかしのマンガ「フジ三太郎」 (お歳暮の季節)

仕事部屋の大掃除は、まだできていませ〜ん(ホコリもこのままお正月へ)。 旅行記など、エッセイは長文だから、短くするのに苦労しま〜す。 で、これからは、むかしのマンガも復活します(これは朝日新聞から)。 ----------------------------------------…

ありがとう 中国旅行

漫画家仲間と北京、西安、上海、蘇州、桂林などを観光旅行したことがある。 メンバーは小島功さん、東海林さだおさん、みつはしちかこさん、古川タクさん、砂川しげひささん、ヒサクニヒコさん、故園山俊二氏夫人、他に女性編集者が一人、そしてビデオを撮影…

大掃除しまーす。仕事部屋。

むかし、インタビューを受けると、仕事部屋で撮影をと、よく頼まれたが、メチャクチャに散らかしていたのでいつも断っていた。 年を取ってヒマになったら、少しきれいに片づけようと思っていたが、今でもそのままだ。何でも出しっぱなしのクセが原因だ。人か…

ありがとう ベニスの朝

水の都ベニスに一人で一泊したことがある。翌朝、水上タクシーで空港に向かう。途中で右舷前方から大きな汽船がやってきた。船の手すりに小学生たちが、鈴なりになっていた。それにしても手すりにいるのは、男子ばかりであった。ぼくに手を振っているような…

ありがとう ドイツ語 (インスブルック)

むかしドイツからバスでイタリアに向かう途中、インスブルック市の近郊でホテルに1泊した。バスの窓から白いアルプスの連峰が見え、淡いグリーンの丘が連なり、春の野花が一面に咲いていた。 団体客たちは、ホテルに着くと「疲れた〜」といい、すぐ部屋に入…

ありがとう シャルトル大聖堂 (フランス)

イル・ド・フランスの白い一本道パリに行ったとき、朝日新聞の文化特派員だった根本長兵衛さんにドコカを案内してもらうことになった。心の温かいユーモアのある人だ。編集委員や論説委員もされ、「企業メセナ」の初代専務理事となり、文化交流にたいへん貢…

ありがとう カンポン (マレーシア)

1990年、国際的にも広く知られているマレーシアのマンガ家ラットさんが、世界各国の漫画家を招待してくれた。 彼が連載中の英字紙ニュー・ストレート・タイムズや、マレーシア政府観光開発公社、マレーシア航空などがスポンサーになって。 マンガ家は、米、…

ありがとう ロングハウス (マレーシア)

そのロングハウスを壁で何十ものハウスに区切り、ワンハウスにワンファミリーが住んでいる。どの部屋も風通しがよさそう。 幅の広い廊下は、長さ200メートル。ハウス寄りは通路であり、ゴザが敷かれた外側は、その上で作業をしたり、育児をしたり、おしゃべ…

ありがとう ロングハウス (食事のマナー)

われわれ一行は、村長のお宅で、昼食のご馳走になった。壁を背にして向かい合って座った。食べ物の食器が運ばれ、床の上に置かれた。まず給仕する人が、錫製のお盆にボウルを乗せて運んでくる。次に錫製のポットからお湯を注いでくれるので手を洗う。食前、…

ありがとう カンポン (国際マンガ展)

これは東海岸にあるコタバルのセントラル・マーケットである。その大きいこと、ゆうに野球場ぐらいある。むかし王朝文明の栄えた都市であり、むかし日本軍が上陸した地点でもある。この『漫画家大集合』に、一人だけマンガ家でないアメリカ人が招待されてい…

週刊朝日の連載マンガ(乗馬)

初代大先生に教えられて、できました。バンザーイ! 次はもう少し品のいいのを選びます。

マンガ  出なくなりました。

このページ、はじめは文だけで絵はなかったのです。 この「はてなダイアリー」にログインして、絵を入れようとしても、絵が入らなくなりました。 この3日間、何度やってもだめです。 x を押すと、「失敗しました」というつれない通告が出ます。 初代先生に言…

あと5日で、「はてなダイアリー市民権」を失います。とりあえず、また「むかしのマンガ」を。

(center)(/center)

アッという間に9月10日。また、むかしのマンガ。

「平凡パンチ」は、大橋歩さんの素晴らしい表紙で創刊されました。東京オリンピックが開かれた1964年のことです。発行部数もやがて100万部を超えました。大橋さんが表紙をやめられたあと、すぐではなかったと思いますが、1983年から1年間、ぼくが頼まれたの…

100日目! むかしのマンガ ご笑覧ありがとう! 

(お墓詣り) (ひじかけ) (男女雇用均等法) (真実)

(展覧会) (消費税始まる) (部長の別荘) (注) たまたまカラーをつけたもの。

(政治マンガ) 政治マンガもときどき描きましたが、このマンガを描いたとき、岸事務所から罫線紙に書かれた抗議文が、朝日新聞に送られてきたそうです。 相手が大物の政治家なので学芸部から上部へとあげたのでしょうね。すると当時、社長だった一柳東一郎氏…

99日目 むかし週刊朝日に連載したマンガ 4/4

(注)子供のころ、白黒映画で見たが、ぼくはこの現代版のほうが好きだ。ジェシカ・ラングが色っぽかったし、マンハッタンのツインタワーに出てくる満月と、故郷の山を重ねるシ−ンなども、モダンで面白かった。 (このマンガは、色香に弱いぼくら男性への反省…

むかし週刊朝日に連載したマンガ (リブ裁判) 3/4

(注)ウーマンリブ全盛の時代だった。ぼくは心からフェミニストだと思うが、運動の行き過ぎを見ると、ついカラカイたくなるのが漫画家で、よく文句をいわれた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

むかし週刊朝日に描いたマンガ (日焼け止めローション) 2/4

(注) >伊達もん様が、いつだったか、コメントで、「夕日くん」は本で読んでいたが、パソコンの大画面で見られるのでワクワクしている」と、書いてくださいました。ソニーの大賀典雄さんも、お元気だったころ、「ほんわかしたあの色は、週刊朝日以上の大き…

むかしのマンガ (お風呂屋さん) 1/4

(注)当時のアパートや住宅には内風呂がなく、大勢の人がお風呂屋さんに行きました。 街にはまだ銭湯がたくさんありました。万博以後、何人目とかの入場者に記念品がよく出ました。 それにしても、夢は夢として、こんなバカなことをよく考えたものです。わ…