ケニアのカマド
”日本人の栄養学”『食べ物さん、ありがとう』先生=川島四郎 生徒=サトウサンペイという古いけれど、わりによい本がある。(保健同人社刊・朝日文庫刊)
川島先生は農学博士で、日本栄養学の泰斗といってよい素晴らしい方だったが、そのお弟子さんで、助手兼秘書をしておられたのが、岸田袈裟(けさ)さん。当時、20代後半の女性だった。
その後、結婚され、ナイロビ大学に学び、さらなる食糧研究と、ボランティアのため、ご主人やご家族ともども、30年にわたってケニアに在住されることとなった。
その袈裟さんが、昨年、病気療養で実家の盛岡に帰っておられ、去る2月23日に享年66歳で亡くなられた。
ぼくもサファリ観光で行ったとき、ケニアの女性たちが、頭の上に水壺や重い焚き木を乗せ、えんえんと道を歩いている姿を見た。
ケニアでは、電気も水道もない村が多く、女性が、重労働の水運びや薪拾いをしていたのである。
そして、食事の支度は、両側に石を積み、薪をくべ、その上に鍋を乗せての煮炊きであった。
当然、熱効率が悪く、熱いお湯ができにくいので、子供の感染死が異常に多かった。
そこで袈裟さんは、ケニアの地質に粘土性のあることを知り、一つひとつの村を訪ね、石と土で「カマド作り」を教えて回った。カマドの焚口は一つにして、三つの鍋を同時に温められるようにも工夫し、一つだけは、お湯を沸かす専用カマドにした。
この30年間の努力で、なんと、10万所帯に普及し、子供の死亡率が激減したのである。また、石ころと砂を用いて、水の浄化槽の作り方も、各地で指導して回った。
ぼくもケニアで気づいたが、まだ、はだしの住民が多い。袈裟さんは、村々で女性や子供たちに、日本のわらじの作り方を教えて、傷口から入るエイズを防いだ。これも大きな貢献だと思う。
ぼくが最後にお目にかかったのは、3年前の秋、岸田さんが「読売国際協力賞」を授与され、ご家族と帰国されたときであった。
まだまだお元気で、世界の貧しい国々の聖母でいてほしかった。岸田袈裟さんのお仕事は、シュバイツァーや野口英世にも劣らないとおもう。
今は亡き川島先生も、よくやった! と喜んでおられると思う。